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ハンニバルの生涯と、考察
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2007/12/09(Sun)
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今日、BSで「ハンニバル」の生涯の話を見た。
「ハンニバル」というと、「羊たちの沈黙」のレクター博士を思い出される方もいるかもしれないが、こちらはローマ帝国を窮地に陥れた名将ハンニバルのお話。 Wikipediaでのハンニバルの記事: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AB 当時のローマは、小さな負け戦はあっても、全体を通してみるとほぼ連戦連勝。 イベリア半島(イタリアの長靴のような半島)をほぼ手中に収め、勢いをましていたころだった。 そこでいきなりハンニバルという存在が現れ、当時常勝の勢いだったローマ軍を追い詰めていき、ローマの城壁の目前にまで迫っていった。 とくに、「カンネの戦い」は有名で、当時のローマ軍の主力にはるかに少ない軍勢で戦いながら、巧みな戦術でローマ軍を嵌めて、ローマ軍に壊滅的な打撃を与えて勝利した。 ところが、ハンニバルの母国カルタゴは、そこまで攻め込んだハンニバルに対して援軍を送らなかったことにより、ハンニバルは次第次第に孤立し、結局こう着状態に陥ってしまう。 最後は、ハンニバルの戦術を研究し、より強力なローマ軍を作り上げたローマの将軍スキピオと戦い、完全に敗北してしまう。 その後、ハンニバルは自らがそのために戦ったカルタゴから追われ、各国を放浪するが、カンネの戦いで受けた傷を忘れないローマから追われ、刺客から逃れる身となり、最終的に自ら毒をあおって自害してしまう。 これを見ていて、疑問が2つ湧いた。 まず一つ目が、ハンニバルは卓越した戦争の天才であることは間違いなく、その彼がローマをぎりぎりまで追い詰めながら、なぜ敗北したのか?ということ。 一言で言うと、 「一人の天才が、ローマと言うシステムに敗北した」 のだ、ということではないか。 ローマのすごいところは、失敗もたくさんするんだけれど、そこからきちんと学び、自らを変えていく力があること。 また、それを誰か個人の力ではなく、組織の力にするので、世代が変わってもその力が継続していく。 ハンニバルを超えるスキピオという存在を生み出したのも、煎じ詰めるとローマと言うシステムが生み出したのではないか。 二つ目が、カルタゴのために戦ったはずのハンニバルが、祖国カルタゴからも追われ、最後は毒を仰いで自害する、という孤独な死を選ばざるを得なかったのはなぜか?ということ。 これは、 「復讐心を動機とした悲劇」 なのではないか。 そもそも、ハンニバルがローマに攻め入ったのは、カルタゴ本国の指示ではなく、ほぼ単独行動に近い。 なぜカルタゴの一将軍だったハンニバルがそんな行動に出たのか?というと、もともとは父親の影響が大きかったようだ。 ハンニバルの父親も、カルタゴの将軍だったが、ローマ相手にかなりの善戦をしながら、最終的な戦争ではカルタゴはローマに敗北する。 ハンニバルの父親は、ハンニバルが9歳のときに、神殿の前で、息子であるハンニバルに 「一生ローマを敵とすること」 を誓わせる。 これこそがハンニバルの動機だった。 だから、カルタゴ本国の意向を無視してローマを攻めたし、最後まで本当の意味ではカルタゴからは支援を受けることもなく、自らが蒔いた復讐心の種がやがて自分にも返っていき、最後は孤独な死を迎えてしまった。 もし、ハンニバルの動機が愛によるものだったら、たとえばカルタゴに対する愛国心であったなら、たぶんローマへの侵略と言う形ではなく、もっと違った行動を取っていたような気がしてならない。 #そうでなかったからこそ、歴史に残る人物となったわけだが。。。 |
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